手記 03 Note 03

50代女性の場合

北海道 主婦

1.「線維筋痛症と確定診断されているかどうか」
今年(2006年)5月始めに「線維筋痛症」と「筋筋膜性疼痛症候群」と診断されました。

2.「発病時期」
1999年(45才)の冬から、風邪でもないのに微熱が続き、ドライアイ・耳鳴り・不眠・関節痛・飛蚊症・歯痛・異常な肩こりなどが次々と起きていました。更年期障害が始まったのかと考えていました。

3.「発病時期の環境やきっかけと思えること」
1998年2月に乳がん検診で見つかった右乳房しこりの摘出手術を日帰りで受けました。局所麻酔で深部のしこりを取ったので、肋骨に電気メスの強烈な振動があり大変つらく、なかなか痛みが取れなかったので、会社を1週間休みました。

同じ頃、母が十二指腸癌の手術を受け、腹膜炎で再手術、MRSAにも感染し、会社の帰りに看病のため病院に通う日々が10ヶ月あまり続きました。その時期に仕事の担当も変わり、苦手なソフト開発で主査という立場でもあったので、職場や提供先やベンダーとの人間関係にも苦労しました。帰宅後には家事もあり、ひどく疲れるようになりました。

でも一番の不調の原因は、職場の冷房だと思います。男性が多い職場だったので、いつも冷房が効き寒い空気の中で働かなければならず、肩や腰がいつも冷えてどうしようもありませんでした。ひざ掛け・座布団・ホッカイロは必需品でした。今でも寒いのは苦手で、冷房や扇風機の強風は、凶器のように感じます。

また仕事がらパソコンにずっと関わってきたので、同じ姿勢で画面を見つめていることが長く、目や首・肩がいつも疲れていました。

4.「病気の経過」
私の場合は、線維筋痛症と確定診断されるまでの5年間、整形外科病院リウマチ科のA先生に「関節リウマチ」と診断され、治療していました。

2001年2月、会社の階段を上っている時に右アキレス腱が切れ、入院し手術を受けました。その時の主治医がたまたまA先生でした。手術後、微熱・便秘・倦怠感があり腱も伸びずらくリハビリには苦労しました。その年の6月頃から、右手の中指の第一関節・右手首・右膝・右股関節等が痛み出しました。痛みが1ヶ月以上続いたので、A先生の診察を受けたました。血液検査のCRP・血沈・リウマトイド因子はマイナスで、レントゲンでは骨破壊は無かったのですが、リンパ球が多く手首のMRIで滑膜に異常があるという事でリウマチと診断されました。

その時から軽いリウマチ調整剤を飲み始め、リウマチ調整剤・免疫抑制剤・消炎鎮痛剤・漢方薬などを服用しましたが、痛みはなんとなく続き、膝や股関節の関節注射(ステロイド) も打っていました。その間、リウマチ以外の症状がいろいろ起き、変形性頚椎症・五十肩 (2002年10月)・帯状疱疹(2003年10月)にもなりました。

2002年5月に、29年間勤めた会社を辞めました。微熱と頭痛が続き、腰が抜けたように疲れ、必要な時間外勤務も出来ず、バスでの通勤も困難となったからです。帰りはタクシーを利用したり、会社の近くに駐車場を借りて夫に車で送迎してもらうようになってしまい、もう身体が限界だと思い辞める決心をしました。その頃が、一番具合が悪かったかも知れません。

仕事を辞めると頭痛や痛みが少し治まり、家のリフォームなどをして動いていましたが、 2003年お正月頃から微熱と全身痛が続き、座薬を使っても家事をするのがつらくなり、3月末から入院し、ステロイド注射による治療を受けました。その入院前から椅子に腰掛けると臀部が痛い症状が出始め、ビニール張りの冷たい椅子には全く座っていられませんでした。病院の硬いベッドにも耐えられず、毎日眠剤を飲んで眠っていました。大変つらい入院でしたが、季節が初夏を迎えたことで何とか症状も治まり、退院することが出来ました。今思えば線維筋痛症が悪化していたのですね。それ以来、秋から冬の間は必ず調子が悪くなりますが、入院は絶対しないと考えるようになりました。その秋にはまた、冷たい・硬い・低い椅子にはずっと座っていられなくなったので、通販で購入した低反発の円座を家や車で使っています。

去年の5月にクラス会があり出席しました。掘りごたつの座敷だったので、立ったり座ったりが大変になっている事に初めて気づきました。関節に無理をかけないよう洋式の生活をしていたせいで膝や股関節が硬くなっていたのでしょうか、下に座ろうとするとお尻からドスンと落ち、和式のトイレでも屈むことが困難で、今までそれを認識していなかった自分に愕然としました。それでもどうすることも出来ず、リハビリもせず過ごしていました。

ここ4年くらいはいつもお正月前後は具合が悪くなます。家事で忙しくなることや、買い物などで外出が増え、凍ったような車に乗る機会が増えるせいではないかと思います。今年のお正月には、急に歩きづらくなり、家の中も伝って歩いていました。病院に行きレントゲンを撮っても関節に変化はなく、肝機能(GPT108、GOT64)が悪化しているだけでした。A先生には歩きづらいと言う現象を理解してもらえず、「血液検査上リウマチはもう良くなりました、という状態なんだけど」と予想外の事を言われ、大変ショックでした。こんなに痛いのにそんなことある訳がないし、血液検査は最初からマイナスだったのに、何でそう言われるのか疑問に思いました。

リウマチ歴4年以上にもなると、リウマチの友人達とは症状が違うと感じていました。私は中指と人差し指は少し変形しましたが、たくさん痛い関節はあっても骨破壊は無く、「右股関節に水が溜まっているからそのうち悪化するよ」「腰の痛みは坐骨神経痛だね」とか「多発性神経炎だと思うけど」、股関節のレントゲンを見て「便秘のようだからアローゼンを出しておくね」と言われたりしました。その度に本もいろいろ読みましたが、何か違うとは思っても、自分の病気が本当にリウマチなのかどうなのか、よく分かりませんでした。

今年3月のリウマチの医療講演会で、高名なB先生が「リウマチの人は手の第一関節は痛くなりません」と言うのを聞いて、私は大変ショックでした。まさにその時、私は両手の親指以外の8本の指の第一関節が、千切れるように痛かったのです。「私、やっぱりリウマチじゃないの?ただの変形性関節症だったの?」と本当に驚き、はっきりさせなければいけない時が来たと思い、それまで誰に何回勧められても行こうしなかった内科のリウマチ医の診察を受けることにしました。

実はその数日前、A先生に「骨盤の内側の盲腸のあたりが痛い」と言って、レントゲンを撮ってもらった所、「別に悪くなっていないよ、気のせいじゃない?更年期障害じゃないの」と言われて傷つき腹が立っていたので、A先生に不信感を抱くようになっていたのです。

4月に行った病院のC先生には、「リウマチではないね。変形性指関節症と変形性頚椎症・外反母趾と仙腸関節炎の疑いがあるね。」と言われましたが、すぐに結論は出ませんでした。「また4週間後に来て」と言われましたが、今飲んでいる薬を止めなさいとは言われなかったので、少々不安でした。

その後5月になってから知人の勧めで、遠くの病院のリウマチ科のD先生に診てもらった所、圧痛点を押しただけで、いとも簡単に「線維筋痛症」と「筋筋膜性疼痛症候群」と診断され、リウマチではないと言われました。私は"やっぱり違ったのか"と思い、しばし呆然自失状態でした。その日から抗欝剤パキシル5mgとノイロトロピン4単位2錠を1日3回服用し、先生の「免疫抑制剤(リウマトレックス)は止めて良いんじゃないか」という言葉に従い、その週から免疫抑制剤の服用を止め、7月からはリウマチ調整剤(アザルフィジン)も服用を中止しました。その後、とことん検査をしていただき、リウマチは完全に否定されました。

私はやっと本当の病名が分かったので、D先生に頂いた線維筋痛症の資料を読み、まず病気のことを知ろうと思いました。私はリウマチの患者会の仕事をしていて、昨年の11月に行われたD先生の線維筋痛症についての医療講演会にも参加していたし、線維筋痛症のHPなども見ていたのですが、まさか自分がその病気とは夢にも思いませんでした。なんというバカだったのかと、自分でも呆れてしまいますが、症状の「抑うつ状態」という所が全く当てはまらないと思っていたのです。それ以外はよく似ているけど、まさかと暢気に考えていました。しかし、病院の問診表にある「抑うつ状態」の項目は、当てはまるものばかりでした。私はたくさんのストレスを抱えて頑張って来たんだと、改めて思いました。日常生活に潜むストレスの要因は、なかなか自分では気づけず、やる気がないとか根気がないのは自分のせいと責めていました。

その後、私は黙って他の病院に行く事ができず、今まで通院していた病院にしばらく通いました。A先生に「線維筋痛症だったので、免疫抑制剤は止めることにしました」と伝えましたが、憮然としていました。線維筋痛症は二次的なものだと思ったようで、A先生がリウマチを否定する事は最後までありませんでした。臀部の注射のため我慢をして通院していましたが、8月から別の整形外科に替え、E先生に注射とリハビリの指導をしてもらっています。E先生は、線維筋痛症についてはあまり詳しくないのですが、とても優しくていろいろ話を聞いてくれるのでとても救われます。

現在は、抗欝剤パキシル10mg(朝食後)とノイロトロピン4単位2錠を1日3回服用しています。パキシルを夕食後飲むと眠れなくなったので、朝に変えてみたら快く眠れるようになりました。薬を服用してから、徐々に痛い所が減ってきました。手首・足首・肘・胸・背中と小さな関節から楽になってきて、微熱・頭痛もなくなりましたが、朝起きた時のこわばりが強く、午前中は膝・股関節・肩・腰臀部などが痛みますが、昼からは少し元気に過ごせています。痛みの原因が分かったので、痛くても冷静に受けとめらるようになったことが、以前とは違うところです。

現在、私が行っているリハビリは、
○筋力アップと関節の柔軟さを取り戻すため、風呂上りに3分間だけの正座と胡坐・膝の屈伸・ 肩の運動をしています。テレビ体操もしています。

○毎日家の周辺を散歩しています。万歩計を付け3000歩程度歩くようにしていますが、外の新 鮮な空気や風のにおいを感じ、家々の庭の木や花を見て歩くことが、良い気分転換になって います。まだ始めて3週間ほどですが、徐々に歩数も増え、隣の家に回覧板を届けるのも大 変だった自分と同じとは思えません。今では片道1000歩の郵便ポストに自分で行くようにな り、病院もバスで通っています。

○月に2回ほど温泉のプールに行き、水中歩行と温泉に入ってリラクッスして来ます。最初は ぶくぶく沈んでいた平泳ぎが、今は沈まないようになりました。ジャグジーの温泉が一番好 きです。

5.「病気になって思うこと」
元気で働いていた頃は、全然知りもしなかった病気になり、健康の大切さを思い知りました。病気になって働くということはとてもつらくて、毎日会社に行くことがやっとで、何もかも見失いそうになりました。今まで頼ることの無かった夫に無理を言い、送り迎えをしてもらった時は、本当に助けられ感謝しました。仕事を本当は辞めたくなかったのですが、身体の方が大切と思い退職を決めました。そのまま働いていたらどうなっていたかと考えると、ぞっとします。

6.「周囲の人たちや医療関係者の理解について」
線維筋痛症は日本ではリウマチ学会に属し、これからの治療もリウマチ認定医が中心になって進めて行くようですが、私が最初に診て貰ったA先生も次のC先生もリウマチ認定医でしたが、線維筋痛症とは分かりませんでした。最近、線維筋痛症と言われた知人も、別のリウマチ認定医を渡り歩き、最後は私と同じD先生にたどり着きました。だから現役のリウマチ認定医が中心になって線維筋痛症の治療を進めて行くことは、大変難しいのではないでしょうか。線維筋痛症はリウマチの患者に合併することが多いと言われていますが、見逃されている患者も大勢いるのではないかと大変心配になります。そして私のようにリウマチと誤診され、副作用のある薬を4年も飲み続ける人が出ないことを心から祈ります。
 ストレス社会の今、ますます患者は増えると思うので、早急なケアシステム構築が必要だと思います。私たち患者にも出来ることがあれば、協力したいと思います。

7.「何が自分を支えたか」
◎私が病気になったことを受け入れてくれて、何かと手伝ってくれる夫の存在です。夫も去年人工膝関節の置換手術をしましたので、それ以降さらに理解してくれるようになりました。

◎線維筋痛症の友の会の交流会に出て同じ病気の方に会い、それぞれのお話しを聞いたこと。どこかに同じ病気で頑張っている人がいると思うだけで、自分も頑張れる気がします。

◎線維筋痛症と診断された時、「座布団を持って、杖をついて歩けば良いじゃないか」とD先生に言われて、痛いからどこにも行けないとあきらめていた自分の後ろ向きな考え方に気が付き、反省しました。それからは軽い素材でMY座布団を作り、バス・地下鉄・飲食店・美容室などに出掛ける時は、いつも持ち歩いています。最初はちょっと恥ずかしかったのですが、最近ようやく慣れました。

8.「現在の悩み」
病院が遠いことです。注射やリハビリは近くの病院に通っていますが、D先生の病院が遠くて自力では気軽に行けないことです。いろいろ聞きたい事があっても、なかなか思うようにならないのが悩みです。

9.「つらかった出来事」
私はゴルフが好きで、年間10回はコースに出て、日曜日は近くの練習場に通い、毎晩素振りを欠かさずというゴルフバカでした。病気になってプレイが無理となった時、高いゴルフ道具を見るのも嫌で他人にあげました。高校の同級生やかつての職場のゴルフ仲間と疎遠になることが一番つらいことでした。でも真冬のレッスンや雨の中でのプレイなど、身体に無理をかけたのも事実なので、今はあきらめています。唯一のストレス解消と思っていたことが、余計なストレスを招いていたのかもしれません。

10.「病院での出来事」
今年の4月頃、腰背部がひどく痛くてとてもつらかったので、整形の先生に訴えたところ「CRPはゼロなんだけどね」と言われました。私は珍しく食い下がり「本当に痛いんです、神経系の痛みはCRPに出ないんじゃないですか?ステロイドは効かないから神経系統に効く注射をお願いします」と言いました。するとしぶしぶノイロトロピンを静注してくれました。線維筋痛症と分かるまで毎週打ってもらい、痛みが少しずつ楽になったような気がしました。私は、ステロイドが効かなくなってきたのは変だと、どうしてもっと早く訴えなかったのか悔やんでいます。

11.「医師に言われてつらかったこと、うれしかったこと」
やっぱり「痛いのは気のせいじゃない?更年期障害じゃないの」と言われたことです。そんなことを言われることに腹が立ちましたが、面と向かって反論することは出来ませんでした。
私は、更年期障害に詳しい婦人科のF先生に今年2月から診てもらっていて、女性ホルモンがゼロだったのでホルモンパッチなども試していたし、(それによって痛みはひどくなり、中止しました)、総コレステロール値がずっと上がり続けていたので、メバロチンを処方してもらい改善されていましたし、多汗に対しても漢方を試してみようと言われ、チャレンジしてみました。桂枝茯リョウ丸と補中益気湯ですが、残念ながら痛みが増して中止しました。線維筋痛症は本当にデリケートな病気だと思うので、漢方薬でも試すのは怖いと感じました。でも親身になっていろいろ検討してくれるのがうれしいし、何でも話せるF先生には大変感謝しています。

12.「福祉や行政の面で困ったこと」
 今のところありませんが、身障者手帳の給付や介護保険の適用の問題があると聞いているので、対応の改善を求めていくことが必要だと思います。

13.「生活の場面で困ること」
今はかなり回復して家事はほとんど出来ますが、冷房に弱いので公共の場所になかなか出掛ける事が出来ません。交通機関やホテル・デパート・映画館・スーパーも冷房が効きすぎだと思います。地球温暖化防止のためにも設定室温を上げてもらいたいです。私は室温が25度を切ると調子が悪くなるので、今年も9月から暖房を入れました。今年の冬はどうやって悪化させないように過ごすか、それが今の私の課題です。