手記 03 Note 03

20代女性の場合

職業 無職(病気の為働けません)
ちなみに痛みの箇所は左の顔面全体・首・肩・背中、右側の指先・膝です。
痛み以外は口の渇き・目の乾き・全身倦怠感・鬱などがあります。

「線維筋痛症と確定診断されているかどうか」
友の会の集まり(8月)以降、診断されました。
友の会の時にC先生にD病院を教えていただき、先生に診断されました。それまでは精科兼心療内科で原因不明の慢性疼痛・身体表現性障害と診断されていました。

「発病時期」
高校3年生・18歳の頃です。

「発病時期の環境やきっかけと思えること」
当時、人間関係がうまくいかず(友達に無視されてクラスで孤立状態でした)、不登校をしていました。無視されてることを親にも先生にも言えず、微熱があるふりをしていました。そうしたら本当に微熱が常に出続け、入院して様々な検査をしましたが異常なし。その結果が出た次の日から急に胸の痛みが出てきました。明らかに不登校をしていたものがストレスになって原因になってると思います。

「病気の経過」
痛み出した当初は激痛で、胸から頭にかけて激しい神経痛様の痛みで大変な思いをしました。その後痛みの中心は顔面に移行。環境が変わって短大に入ってからは、顔面は痛いものの学校に通う分には平気な程度でした。大学病院のペインに通って星状神経節ブロックを受けましたが良くなりませんでした。
その後アルバイト生活1年の間もさほど酷くありませんでした。
翌年就職して激務で体を壊した辺りから痛みもひどくなり、その後派遣社員として復職しましたがあまりの激痛がひどくて通えなくなり退職。その頃夏樹静子さんの「椅子が怖い」に出会い、自分も心身症の心因性疼痛障害ではないかと思い、彼女が入院した熱海の病院で薬と絶食療法を受けました。よくなりませんでしたが、精神的に安定し、痛いながらもなんとかなりそうだと喜びました。
その後都内の精神科兼心療内科で投薬・カウンセリング、催眠療法、ヒプノセラピーを受けましたが全く痛みはよくなりませんでした。カウンセリングで過去のことを色々掘り起こしたせいか、家族との間もうまくいかなくなったり、痛みよりも鬱の症状が酷く出ることが多かったです。
心療内科に通いだしての5年間は、仕事につくことも出来ず(短期派遣は何度か出来、一時学校に通い復職できそうでしたが1週間しか持ちませんでした)、時には寝込み、時には調子がいいからと旅行に行けたり、結構波があります。(旅行に行くとあとは最悪1ヶ月寝たきりだったりしますが、保守的な生活を送っても病気が良くなる訳でないと分かっているし軽症らしいので、かなり無理してでも旅行に出たりしてしまいます。)
そして今年に入って今までに無い激痛に悩まされ、同時に今まで痛みの無かった背中にまで痛みが広がった為、どうしようもなく大学病院のペインへ行きました。そこでモルヒネに近い薬を出されましたが全く効かず、とにかく回数をこなそうと星状神経節ブロックを現在も受けています(顔面には効いてませんが、背中の痛みはトリガーポイント注射が効きます・ノイロトロピンが含まれた薬です)。
今現在は痛みで何も出来ないほど酷くない程度ですが、仕事は無理です。このほかのどの渇き・目の乾き・全身倦怠感などに悩まされています。口の渇き以外は常にあるのものではなく、痛みもですがひどい時とそうでない時との差が結構あります。リウマチ科・ペインクリニック・心療内科兼精神科へ3箇所通院中です。

「現在の悩み」
私は先生に軽症だと言われて自分でも納得していますし、もっと酷い人の話を聞くと嫌な言い方ですが自分はましだと思っています。ですが、やっぱり痛みが常にあること(自分の場合寝ている時以外常に痛い)と仕事ができないことが悩みです。軽症でも自分なりには辛いです。
痛みとはなんとか付き合っていくようにしなくてはと思ってますが、仕事ができないから親に経済的負担をかけっぱなしだし、自分の好きなものも買ったり出来ない、それが辛いです。あと仕事をしていないと世の中とのつながりが余り無い事や、もう仕事は出来ないんではないか、と精神的に追い込まれてしまってます。

「つらかった出来事」
 発病原因の学校で孤立したことが未だに精神的に傷になっています。そのため発病したと思われるので、あの時こうしていれば、と思うことが多いです。未だに人に嫌われるのではないか、という思いがあり、人間関係に自信がもてません。
あとは痛みがひどくてひどくて顔が張り裂けそうに痛く、仕事帰り家に帰る元気も無く電車に飛び込んですべてを終わりにしようと思ったこと。
今年に入って激痛になり、耐え切れなくても救急車を呼んでもどうしようもないと思って絶望的になった事。
鬱の症状が酷く出て無性に自殺したくなったこと。
パキシルを現在も飲んでいます(痛みには効きませんが、鬱を抑える為)が、私の場合加減が難しく、すぐ躁状態になって気が大きくなってしまう事。かなり痛みが酷くても精神的に躁だと救われますが、過去にカードで10万近く買物してしまったり、人にケンカ売ってしまったり、未だに悩まされてます。

「病院での出来事」
痛い筈がない、そのうち治る、など皆さんも体験されてるであろう事をよく言われました。あとはうちの科ではどうしてあげることも出来ないと言われて絶望感で泣いた覚えもあります(この科の先生はとても親身になって下さってました)。
心身症と診断されて精神科兼心療内科に通ってカウンセリングを受け続ければよくなるだろうと思っていたのが全然良くならなかったこと。カウンセラーさんも今もお世話になってる先生もいい方だったから余計に期待していたのでがっかりでした。
病院ではありませんが、胡散臭い催眠療法専門の施設に通っていて、あなたはもう治ります、大丈夫とあっさり経験未熟そうな若い療法師に言われた事です。ここは隣の部屋の相談してる声は筒抜け、外では療法師を育てる講座を開いていて、挙句の果てには代表の方が某お笑いタレントの音痴を治すということでテレビに出ていて、やっぱり変なところにかかってしまったと思いました。

「医師に言われてつらかったこと、うれしかったこと」
つらかったこと
痛い筈がない、そのうち治る、運動でもしたほうがいい(その程度で治るって感じの言い方だったので)
うれしかったこと
C先生のもとで私が線維筋痛症ですか?と聞いて「それしかないでしょう!」と言われたこと。
精神科兼心療内科のカウンセラーさんが段々徐々にではあるが、良くなっていく筈ですと言って下さった事。
同先生が痛くて大変だろう、本当なんでこんな症状が出るんだろう、みたいに親身になってくださった事。

「福祉や行政の面で困ったこと」
あまり世話になってないので特に無いですが、精神科兼心療内科で32条の申請をしているので、個人情報が流れないか心配してます。

「生活の場面で困ること」
常に痛かったり、倦怠感が出て寝たきりになったり、躁鬱状態で困ったり、出かけると口の渇きに困ります。最近は目の乾きも出てきてたいしたこと無いけど、病気が進行してないか気になります。顔の痛みが神経痛に似ている為、冬になるにつれ痛みが酷くなって外出が厳しくなったり、外出すると酷い痛みに悩まされる事。
あと金銭的にかなり苦しい事。
それと友達や周りの人に病気のことをきちんと理解してもらえてないこと、病気のことをどこまで話したらいいのか迷うこと。このことで過去に一人友人を無くしている為、特に気になります。中にはとても親身になってくれる子もいますが、見た目が元気そうに見えることと友達に会える=調子が結構いい時、の為中々分かってもらえないです。

「病気になって思うこと」
神様が与えた試練だとしたら辛すぎる試練ですが、この病になって唯一良かったのは人にやさしく出来る気持ちが少し増えた事です。自分の痛みの調子がマシな時であれば、前には出来なかった電車でお年寄りに席を譲る事が自然に出来る様になりました。余裕が無い時はそんなことは思えませんが、今ちょっと余裕があるのでそう思えます。
あとは絶食療法やら催眠療法・ヒプノセラピー(退行催眠)など貴重な経験が出来た事。
マイナス面はやりたかった仕事を途中でやめざるをえなくて、これからも復帰するのが厳しい事。
昔からの夢で、それが少しかないかけていたので本当に悔しいです。離れていった人や、病気で連絡できなくて疎遠になった人が数人いるのも非常に悲しいです。

「周囲の人たちや医療関係者の理解について」
上にも書いてしまいました(すいません)が、友達や知人や親戚にはきちんとは理解されていません。どこまで病気のことを話していいかについても相手によって非常に悩みます。
医療関係者については、C先生はもちろん理解きちんとして頂けてます。
心療内科兼精神科の先生に線維筋痛症の話をしたら初耳らしいく、あまり受け入れてもらえてないかと思いましたが、ノイロトロピンについて調べて貰ったり、完全にではないけど少しずつ理解してくれるのではないかと思っています。
(ちなみにこの先生は、体の面から見たら線維筋痛症かもしれないけど心の面から見たら精神的なものであるだろうとおっしゃってます、様はどっちの方面から見るか次第でないかと)。
ペインクリニックの先生にもしつこくて治りにくいやっかいな痛みを持っているっていう点では理解されてると思います。線維筋痛症のこともご存知でしたが、詳しくはないとのことでした。専門の科にかかりたいと相談した時もそれがいい、と薦めて下さりました。

「何が自分を支えたか」
家族、特に親身になって心配してくれている母の存在です。私が自殺しようと家を飛び出した時も探し回ってくれたり、通院できない時に代わりに病院に行ってくれたり、常に痛みのことを家で話していても全部受け入れてくれる存在なので、母がもしいなかったら死んでいたかもしれないです。
あとは少ないですが、病気のことを心配してくれてる友達や病気仲間の存在。それと痛み出してから好きになった某ミュージシャンの存在です。私は痛みながらも彼のコンサートに通っていて、薬を飲むよりコンサートに行く方が明らかに痛みが楽になります。死んだら彼のコンサートに行けないと思うとイヤだと思って死ぬ気がなくなるのでかなりの支えになってると思います。以上、長々とまとまりの無い文章で失礼しました。こうやって文章にまとめると自分でも忘れていた事を思い出したり、自分の痛み人生を振り返ることが出来ました。
それでは、何かお役に立てれば幸いです。
その後、状況が変わりました。
まず、リウマチ専門医と心療内科兼精神科は別の病院だったのが、FMSを診てくれるメンタルの先生にお世話になることになって、リウマチ科医とメンタル医に同じ病院で診てもらえるようになりました。
以前のメンタルの先生はFMSの存在自体をあまり認めようとしてくれなかったし、薬を比較的変えない先生だったのが、先生が変わって色々変更してくれるので、眠れない時等には色々試行錯誤して頂いて貰えてます。何より、「FMSを分かってくれてて精神的なことの専門医でもある先生に診てもらえる」という安心感が私には何より嬉しいことです。
それから以前の闘病記で「鬱」や「躁」と勝手に使ってましたが、お医者さん曰く、軽い落ち込みやハイテンションなこと(落ち込みなら痛みが酷かった場合等、ハイテンションは抗鬱剤による躁転っぽさ等)はあるけど、とても鬱やら躁ではないらしく、私の勝手な知識と判断によってそう思い込んでいるものでした。
抗鬱剤(特に私の場合はSSRI・SNRI)は私の場合痛みには効果ありませんが、気持ちが沈んだのを持ち上げるのには効いています(それが効きすぎた場合、テンションが上がってしまいます)。
相変わらず痛みやその他の症状に悩まされてますが、なんとかやっていくつもりです。